直  葬


直葬(しょくそう、じきそう)と言われるお葬式の形態が増えているようです。直葬とは、お通夜や告別式などのお葬儀にかかわる儀式を行わずに、法律ではなくなってから24時間はご遺体を安置保管することが定められています。その後、速やかにご遺体を火葬場へ運び、火葬する葬儀です。ごくごく近しい人、近親者だけ立ち会い、僧侶や神職と言った宗教関係者を呼ばない場合が増えているように思います。火葬場で僧侶がお経を上げることはあります。費用は、お棺(ひつぎ)、ご遺体を運ぶ車両代、火葬場の利用料などだけなので非常に安価です。10万円から30万円といったところでしょうか。従来は、経済的に厳しい方や身寄りのない方に対する福祉サービス的なところがありましたが、個人主義や核家族といいましょうか、周りの煩わしい人間関係を嫌って、葬儀に関する意識が変わり始めている影響もあり、大都市周辺では、この直葬を選択するケースが増えているように思います。

 

 


通  夜


通夜(つや)はもともと故人を葬る前に親族や知人が夜通しで死者に魔物が憑かないよういん、夜通しでご遺体を守ることを意味しました。夜を通すので、通夜というわけです。本来は、夜通しで故人に付き添っていましが、時代とともに、僧侶を招いて読経する半通夜といいましょうか、葬儀に準じた儀式になってきました。このうち、弔問客が多く会葬に訪れるものを本通夜、ごくごく近親者のみで行うものを仮通夜と言います。通夜振る舞いといって、

故人を偲び、会葬者に飲食を振る舞うことで、故人の供養とする風習があります。

 

 また、仮通夜とは、亡くなった当日の夜に親族だけで営まれるお勤めをいいます。


火 葬 式


火葬式は、通夜はもちろんこと、葬儀や告別式を行わずに、24時間以上保管されたご遺体をすぐに火葬にすることです。宗教儀式を行わないことが多いですが、せめて読経でもいうことで、火葬炉の前で、僧侶に読経を依頼することがあります。


葬   儀


葬儀は、宗教儀礼です。仏式の葬儀であれば、僧侶が、読経します。そして本来、お坊さん以外では、故人のご遺族やごく少数の近親者のみで儀式として営まれるのが、本来の葬儀です。


告 別 式


告別式=お葬儀とお考えの方が多いようですが、葬儀プラス告別式がお葬儀の概念です。告別式は亡くなった方を偲んで、お別れする会式です。亡くなった方と生前にお付き合いがあった友人や同僚など関係者の方々が集まって行うお別れの会です。近年は、宗教儀式である葬儀と故人と親しかった方が故人とお別れする会である告別式を一体化して葬儀告別式とするのが一般的になりました。


一 日 葬


従来葬儀と言えば、今にも亡くなろうとする人が不安にならないように亡くなってすぐに僧侶を読んで読経してもらう枕経から始まり、お通夜、葬儀(本葬)、告別式、炉前法要(火屋勤行)、初七日、四十九日、納骨法要と仏事法要が続きますが、近年は省略化が進んでいます。お葬儀で、初七日、四十九日法要も一回で済ませてしまう形式が増えているようです。

一日葬とは、通常の葬儀で行なわれる、前日に亡くなった方の通夜と法要を行ない、翌日に葬式と告別式という二日間にまたがる葬儀式を一日で終えてしまうことです。一日葬に火葬式は含まれており、火葬式と一日葬は違います。火葬式は、通夜はもちろんこと、葬儀や告別式を行わずに、24時間以上保管されたご遺体をすぐに火葬にすることです。宗教儀式を行わないことが多いですが、せめて読経でもいうことで、火葬炉の前で、僧侶に読経を依頼することがあります。

一日葬は、1日で、葬儀と告別式を行いその後に、火葬式を近親者で行う弔いです。葬儀とは、宗教儀礼です。仏式の葬儀であれば、僧侶が、読経します。そして本来、お坊さん以外では、故人の遺族とごく少数の近親者のみで営むものとされていますにご家族や親しい身内のみで行なう簡素な物ではありますが、火葬式の場合は通夜、告別式といった物を行なわずに火葬のみをする事です。火葬のみといっても読経など故人を偲び温かくお見送りをする事もできます。火葬式は経済的に葬式を行なう費用を捻出するのが難しい方や忙しい身内の人達のスケジュールを合わせて後日散骨を行ないたい場合などに利用されることが多いです。一日葬は葬式を行なう際に費用を抑えつつあまり多くの人間を呼ばずにあくまで親しい人間だけで済ませたい人達に利用される傾向にあります。
一日葬と火葬式の違いは前日の通夜を行なわない以外は通常の葬儀と変わらないのが一日葬、火葬のみを行うのが火葬式と覚えておけばいいでしょう。

まず、理解しておいていただきたいのは、「お葬式」という言葉は、もともと「葬儀」と「告別式」という二つの言葉によって合成されたものであり、それに伴って、お葬式の中身も葬儀と告別式が一体化したものになっているのが現状だということです。
 どういうことかといいますと、葬儀はあくまでも儀礼なのです。仏式の葬儀であれば、お坊さんに来てもらってお経を唱えてもらいますが、宗派によって葬儀の概念は違います。これは亡くなった人の霊魂を鎮め、成仏していただくものであったり、極楽往生が定まったことを仏さまに感謝する宗派もあります。そして本来、お坊さん以外では、故人の遺族とごく少数の近親者のみで営むものとされています。続いて行われる告別式はその字の如く、「故人を偲ぶ会」です。有名人の方が亡くなった場合、葬儀はうちうちで済ませて、「〇〇さんお別れの会」というかたちで後日会場を借りて、行う形式もあります。

 

いずれにせよ、現在では葬儀と告別式を一体化して行うのが普通になってまいりました。 葬儀に参列すると、お坊さんの読経が始まり、まず遺族、親族にあたる人たちが焼香を済ませ、ここまでが本来の葬儀になりますが、その後に、一般参列者の方々のご焼香からが告別式ということになります。

 

 


四 十 九 日


亡くなった日(命日)を含めて、七日目が初七日です。命日も含めて七日目に行うのが初七日です。これも宗派によってとらえ方が異なりますが、亡くなった方がこの世とあの世の境界である三途の川の岸辺に到着するのが、7日目つまり初七日なのです。故人が三途の川のほとりに到着する日とされています。三途の川を無事に渡れるように、法要を行って祈願するわけですね。この辺も宗派によって考え方が異なりますが、無事に向こうの世界に渡って、お幸せにお過ごしください。という気持ちは変わらないように思います。実際問題として、亡くなってから1週間後にまた集まるのも遠方から来られた近親者にとっては大変なことなので、この初七日を、ご遺骨のお迎え法要と併せて行ってしまうのが一般的になっています。


百 か 日


四十九日で亡くなった方の行き場所は決まるとされますが、三悪趣(地獄界・餓鬼界・畜生界)に落とされていたら、裁判でいえば再審ですよね、救いの機会が欲しいものです。そこで、亡くなって100日経った時に、平等王によって再審の機会が設けられているのです。この機会にご遺族は法要を行って、より良い世界に行かれるように供養をします。


無宗教の葬儀


<無宗教の葬儀>

葬儀は伝統的に宗教的な儀礼として行われるのが一般的であるが、最近では無宗教葬とよばれる葬儀も登場している。無宗教葬とは、特定の宗教・宗旨宗派の葬儀方法や伝統的な作法によらず、宗教者による葬祭行為もない自由な形式および式次第で故人とのお別れをする葬儀のことである。

無宗教葬は自由葬とよばれることもあり、葬儀社によってはプロデュース葬ということもあるが、無宗教葬は自由葬(プロデュース葬)のひとつであり、自由葬(プロデュース葬)=無宗教葬ではない。自由葬は、仏式、神式、キリスト教式などの宗教による葬儀形式で標準パッケージされているような葬儀ではなく、故人の死を悼む遺族、近親者、友人などの想いを反映した自由なスタイル、演出で構成し行う、オーダーメイドの葬儀である。

無宗教葬は特定の宗教・宗旨宗派の儀礼にとらわれない葬儀という以上には、標準的なスタイルや内容が確立されているわけではなく、宗教・宗旨宗派の葬祭儀礼も取り込んで行うこともできるオリジナルな企画型の葬儀といえる。

実際に行われている無宗教葬の割合は、まだ葬儀全体の1%程度に過ぎない。しかし、もともと現代の日本では無宗教の意識の人が多いことから、今後、無宗教葬が広がっていく可能性はあるといえる。

そもそも、無宗教葬が注目されるようになってきたのには、宗教としての既成仏教や寺のあり方に対する不信感の高まりという面が否定できない。日本では江戸時代以来、一家一族単位で一つの仏教寺院を菩提寺とし、葬儀や法要だけにとどまらず、日常生活の様々な局面で寺を拠り所として深く付き合う関係が、社会制度として続いてきた。いわゆる檀家制度だが、これにより、今や日本全国にコンビニエンスストアの数倍に及ぶ数の寺があるほどに、仏教は普及した。しかし、現代では核家族化が進んだことにより、従来のような一家一族単位で特定の宗教・宗派に帰属する意識や感覚は希薄になり、菩提寺との接点は葬儀の時だけという檀家が多数派になってきている。

しかも、そうした檀家の側には、意味のわからないお経を長々上げるだけで法外なお布施を求められ、終わったら、さようならだという不満が強く、葬式仏教という揶揄や批判も高まっている。加えて今日では、檀家制のような集団的な伝統よりも、個人の生き方、考え方や個性を重視する価値観が社会の主流になってきている。

無宗教葬や自由葬は、こうした社会背景や意識変化があって登場し、注目されるようになっていると言える。最近広がりつつある直葬や家族葬も、無宗教葬のひとつとする場合もある。その意味では、今後、無宗教葬が増えていくことは十分に予想できる。それとともに、既成宗教、とりわけ仏教離れも広がっていくのかもしれない。

ただし、菩提寺があり、そこに納骨する予定のお墓がある場合は、無宗教葬はしない方がよい。無宗教葬が故人の遺言であっても、菩提寺に入るお墓がある場合は、菩提寺の宗旨宗派の葬儀を行うのが賢明である。故人の遺志だからと無宗教葬をしてしまうと、菩提寺から納骨を断られたり、菩提寺の宗旨宗派に則った葬儀をもう一度し直さなければならなくなることもあるので注意が必要である。





神式とキリスト教の葬儀


<神式の葬儀>

神式の葬儀は、古くから日本にあった民族的なお葬式を原型にしている。仏教式との共通点も多くあるが、これは、中国大陸を経て日本に入ってきた仏教が全国へ布教していく過程で、神式の葬儀の原型となった各地の伝統的な葬送のかたちに合わせ、仏教式の葬儀法を形成していったためと言われている。

今日、神式の葬儀といった場合、神社神道の祭祀である神葬祭の儀礼を指す。神社神道とは、神社本庁が包括する全国の神社で行われる祭祀儀礼を中心とした信仰で、天理教や金光教など神道系教団による教派神道とは区別される。

仏教では、亡くなった方は来世で仏弟子として生まれ変わるとされるが、神社神道では、亡くなった方は、火葬や埋骨された後もその霊魂は祖先の霊とともに家にとどまり、遺族の守り神になるとされる。そこで神式葬儀としての神葬祭には、氏神である祖霊に故人の帰幽(きゆう:亡くなったこと)を知らせ、故人を先祖のもとへ送り、遺された家族を守ってくださいと祈る意味がある。

また、神道では死は穢れとされているため、穢れを祓い、浄めるということも、神葬祭の目的とされている。
神葬祭は神職による斎主が司り、副斎主・斎員などの神官が随いて以下の手順で進められる。なお、死を穢れとすることから、葬儀は聖域である神社では行うことはできない。自宅または一般の斎場を祭場として執り行う。


<キリスト教の葬儀>

キリスト教には主にカトリック系とプロテスタント系がある。いずれも、葬儀では重要な儀礼がいくつかあるが、カトリックでは伝統的な儀式に厳格で、プロテスタントは比較的自由で柔軟である。

キリスト教における葬儀・葬送で重要なことは、お葬式そのものよりも死の迎え方である。ご臨終の際し、まだ意識のあるうちに、カトリックでは司祭(神父)、プロテスタントでは牧師が立ち会い、神に祈りながらその時を迎えることが大切とされている。

キリスト教では、死は命の終わりではなく、天上の神から地上での罪が許され永遠の安息を与えられることとされている。それは召天または帰天といい、神のもとに召される記念すべきことであり、やがて訪れる復活の日まで天国で過ごすとされるためである。これは、キリスト教がイエス・キリストの復活を死生観の基盤にする信仰であることに基づいているためで、天に赴く際には、聖職者である神父、あるいは牧師の導きが必要となる。

キリスト教の葬儀は本来、信者とその家族を対象としている。キリスト教徒は原則としてそれぞれに、自分の居住地域や洗礼を受けた宗派の教会に属しているため、教徒や信者の方が危篤に至った場合はその教会に連絡し、神父あるいは牧師に来てもらう。また、葬儀も教会単位で、他の信者どうしが一緒に手伝い、お見送りをする。

なお、キリスト教徒ではないがキリスト教での葬儀をしたいという場合、伝統に厳格なカトリック系の教会よりもプロテスタント系の教会の方が比較的柔軟に応じてくれるケースが多いようである。


 


仏教の葬儀について


仏教の葬儀について

わが国のお葬式の9割以上は仏教式で行われており、通夜から葬儀式、告別式そして火葬とつづく葬儀の流れは、概ねは定式化している。しかし、日本の伝統仏教にはいくつもの宗派があり、それぞれの宗派によって祭壇飾りや席の配置から作法、儀礼、そして読誦されるお経にも違いがある。

同じ仏教でも宗派によって葬儀に違いがある理由は、それぞれの宗派の教義や宗旨によって、葬儀の意義や葬送の作法が異なっているためである。それは、その宗派が説く仏教的な世界観や死生観の違いといえる。そのため、遺族として仏教式で葬儀をされる場合には、故人が帰依していた宗派、あるいは菩提寺が属する宗派によって葬儀をしなくてはならない。

また、その宗派における葬儀の意義づけや葬送の儀礼や作法が意味するところついてもある程度知っておくと、通夜や葬儀の場において何が行われているのかも分かり、故人を送る想いがより深いものになるのではないだろうか。

仏教は古代インドでブッダ(釈迦)の教えとして起こった宗教であり、日本には6世紀半ばに中国から伝わったとされている。中国における仏教は、大乗仏教という古代インドの改革派仏教の流れを受け継いだもので、当時から多様な宗派が興っていた。日本に伝えられたのも、この大乗仏教としての中国諸宗派の仏教で、以後1500年、日本の仏教も各宗派を核として布教教化が重ねられ、今日に至っている。

葬儀は宗教と切り離しにくいもので、葬儀の多くは宗教者が主導する宗教的儀礼として行われる。宗教が違えば、葬儀の形式や手順も違ってくる。また同じ宗教でも、宗派によって作法などが違ってくる。そのため葬儀は、故人の信仰や菩提寺が属している宗教や宗派の宗教者、儀礼や手順によって行わなければならない。

 

たとえば仏教式の葬儀であっても、菩提寺がありながら、その寺とは違う宗旨・宗派で葬儀をしてしまった場合、菩提寺のお墓に入れなかったり、本来の宗旨宗派で葬儀をやり直さなければならなかったりすることもあるのだ。したがって、ふだんは宗教や信仰を意識することがなくても、いざ葬儀というときには、故人や自分の家の宗教・宗派について把握しておくことが必要である。